ラーゲリより愛を込めての遺書全文と内容・遺書は実話だった?

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ラーゲリより愛を込めて 遺書全文 ドキュメンタリー映画

映画「ラーゲリより愛を込めて」は、

極寒のシベリアのラーゲリ収容所に

収監された山本幡男が

生きる希望を失わずに

仲間を励まし、

やがて帰国するまで

戦い続ける感動的な物語ですね。

この映画の中で

主人公の幡男が書き残して

奇跡的に日本の家族の元に

届けられたという遺書ができてきます。

映画の中でも

読まれていました

遺書全文

 

内容は

仲間たち、母、妻、子どもたち 顕一 厚生 誠之 はるかへ

書かれたものでした。

 

わたしは映画を見ていて

この遺書はそもそも

実話に基づいた遺書なのか?

と疑問に思い

当てられた内容をもう一度詳しく見てみたいと

思ったので調べてみました。

ご興味のある方は

ご一緒にどうぞ!



ラーゲリより愛を込めての遺書全文

遺書全文の内容を個々に見ていきたいと思います。

調べたところ遺書は

 山本幡男氏の第一子(長男)山本 顕一(やまもと けんいち)

がご自身のホームページで公表されておられました。

 

顕一氏は1935年福岡県で生まれ

幼少期を旧満州国大連市で過ごしておられました。

1964年3月

大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程満期退学。

専門はフランス文学。

 

遺書全文を御覧になりたい方はこちら👇↓

出典:山本顕一のホームページへようこそ!

 




遺書全文の内容と幡男の思い

遺書全文の内容についてはどうなのでしょうか?

幡男がどういう思いで

シベリア捕虜に甘んじいたのか?

 

なぜ、仲間たちを励まし続けていたのか?

遺書に託された幡男の思いは

 

何だったのでしょうか?

 

遺書の最後に書かれていた

遺書を託した仲間たちへの言葉から

 

推測しますと

 

仲間たちによって

遺書の暗記がされたのは

幡男からの願いであったようです。

 

最後に幡男は次のような言葉を残しました。

 

必ずこの遺書を私の家庭に伝え給え。

 

幡男のダモイにかけた執念のような

幡男の熱い思いが伝わってくるようです。

 

また、遺書の中に 敬愛する佐藤健雄先輩 の

 

佐藤健雄(さとうたけお)は

 

幡男と同じ収容所にいた人物で

幡男が東京外国語学校(現:東京外国語大学)で

学んでいた時の先輩でした。

 

そして同時に、南満州鉄道(満鉄)時代の職場で

直属の上司だった方です。

 

原作にはなく

映画の演出の一つで

 

安田顕が演じた原幸彦という人物が登場します。

 

映画の中での設定では

原は幡男と同じ大学出身で

 

南満州鉄道(満鉄)時代の

の上司となっています。

 

佐藤と経歴が酷似していますね。

映画の中で幡男が原と出会ったシーンは

 

ロシア軍から思想教育の一環として

捕虜の面前で見せしめのように虐げられ、

 

暴力を受けていた場面でしたね。

 

暴行のあと、ロシア兵が引き挙げて

誰も原を助ける者がいない中、

幡男だけが原の元に近づき

助けていました。

 

ロシア兵の暴力から解放された原を

 

手当したのは唯一、幡男だけでした。

それから数年が経ち、

 

やがて、

シベリア捕虜解放の時となり

 

捕虜たちは次々と

帰国列車に乗っていきます。

幡男も帰国列車に

乗車できるようになりましたが

 

途中で停車した駅で

幡男と数人の兵士が

 

スパイ容疑者として

下車させられています。

 

こうしてせっかく

ダモイできると喜んでいた幡男は

 

帰国を断念させられることになりました。

 

そのきっかけとなる密告をして

 

スパイ容疑をかけ

 

幡男を裏切ったのがなんと、

原でした。

 

佐藤氏と原作にはない

 

映画オリジナルの登場人物である原が

 

同じ人物であるかどうかは不明です。

 

この遺書から推測すると

 

幡男はこの佐藤氏を信頼し

 

尊敬していたように見受けられます。

 

佐藤氏は、

 

日ソ国交回復後の1956年12月、

ソ連・ナホトカ港から

 

京都府・舞鶴港へ向かう、

最後の引揚船で帰還しています。

 

彼もまた旗男と同じく

 

シベリア捕虜の長期抑留者でした。

 

 




ラーゲリより愛を込めての遺書全文と内容 山本幡男の家族のもの達よ!

 

遺書の中で幡男はまず、

次のように語りかけをしています。

 

山本幡男の遺家族のもの達よ!

この言葉から始まって

家族の者全体に充てて書かれていました。

唯一つ。何よりもあなた方にお願ひしたいのは、

私の死によって決して悲観することなく、

落胆することなく意気ますます旺盛に振起して、

病気せざるやう、

怪我をしないやう

細心の注意を健康に払って、

丈夫に生き永らへて貰ひたい、

といふことである。

健康第一。

私は身を以てしみじみと

この事を感じました。

決して無理をしてはいけない。

少しでも可笑しいと思ったら、

身体の具合をよく調べて予め、

病気を防止すること。

 

わたしはこの幡男の言葉を読んで驚きました。

 

死を前にした男が

 

落胆することなく意気ますます旺盛に

してほしい。と

 

書けるでしょうか?!

 

そして

病にかからないように

気を付けてほしい。

気持ちを綴っています。

 

シベリア捕虜に置かれるという

 

極悪の環境下にあっても

健康に留意しなかった自分を

 

後悔しています。

 

1945 年8月の終戦後にもかかわらず、

 

満州 (現・中国東北部)等の敵地にいた

 

約60万の日本兵は、

 

ソ連軍により連行されて収容所に入れられて、

 

強制労働させられました。

 

強制労働と劣悪な環境、

栄養失調、病気などにより、

 

約6万人の無名な日本兵たちが

 

極寒の地、シベリアで

命を落としたと言われています。

 

奇しくも幡男の遺書が

 

残されていたので

彼らがどのような思いで

 

死んでいったのか

 

知ることができましたが

家族に向けた幡男のこの遺書の

 

一言、一言は

 

まさにダモイを果たせなかった

 

60万人の無名日本兵を代弁した遺言のように

考察しました。

 



ラーゲリより愛を込めての遺書全文と内容 母(山本まさと)へ

 

2通目に書かれているのは

 

お母さんに宛てた遺言です。

 

遺書の中には

 

一目でもいいから、

お母さんに会って死にたかった。

 

幡男の思いが吐露されています。

 

45歳の男性の実直な言葉です。

 

男は皆、マザコンだ と

 

言う言葉を耳にしたことがありますが

 

死を直視した人の願いが

 

ひとめ、母に会って、死にたい と

 

いう素直な言葉で書かれています。

 

それだけ

 

母親が子を思う愛情の深さの

 

裏返しなのだですね。

 

幡男は

 

お母さんに

大切に育てられた方だったのだと思われました。

 

昔、

70歳男性が書いた

 

“母”というテーマの川柳を

読んだことがあります。

 

“お母さん ひとめ、 貴方に会いたい。”

 

70歳にもなっているこの方のお母さんは

すでに

お亡くなりになっているのだと推測されます。

 

70歳のこの男性は

”母”というテーマを見て、

 

亡くなったお母さんに

もう一度会いたい。と

 

真っ先に

 

思われたのでしょう。

 

若かった私は

 

この川柳を読んで

 

胸がいっぱいになり

 

涙が溢れそうでした。

 

あぁ、人って70歳になった、

 

老人でも

 

こんなにもお母さんに会い。と思うんだ!と

 

幡男もこの遺書を書きながら

まさに、

お母さんに

会いたいと思って

 

涙をこぼしていたのではないでしょうか。

お母さんへの遺書の最後の方には

 

どれだけお母さんに逢ひたかったことか!

出典:Fiber Bit

と書かれています。

 




ラーゲリより愛を込めての遺書全文と内容 妻(山本もじみ)へ

 

3通目は妻もじみへの遺言です。

 

妻、もじみへの遺書を読んで、

 

全国の妻代表としてはまず、

 

遺書は最初に妻に書くべきでしょ!!と

 

思ったのはわたしだけでしょうか。。。?

 

苦労して4人の子どもたちを育てたのは

 

他ならない妻です!

 

しかしながら

 

遺書では3番目に書かれています。

 

それも “愛する妻、もじみへ”

 

ではなく、いきなり

 

妻よ!

よくやった。

実によくやった。

 

でした。

 

え。。たったこれだけ。。。?

 

というのが

 

わたしの率直な感想ですが

 

昭和初期男子はみな、

このような感覚であったのだと

 

自分なりに落とし込みました。

 

遺書から見る妻、

 

もじみ像は

 

たくましい女性。

 

闘っている女性。

 

奮闘している女性。

 

不幸な女性。

 

雄々しい女性。

 

 

よほど、

 

妻もじみは

 

たくましい女性であったのだと思われます。

 

そして妻への遺書の最後はあっけなく

さよなら。

これにも正直なところ驚きました。

 

もう少し、

 

愛情表現というのは書けなかったのか。。。

 

と残念でしたが。。

 

気を取り直して、

 

妻はなんといっても

 

所詮は血の繋がりのない

 

他人なのだから

 

死を直前にした時には

 

このような表現で

 

終わってしまうものなのか。と

 

考えさせられました。

 

これも美化されていない

 

幡男の実直な遺書でした。

 

幡男にとって、妻もじみは

共に家庭を支える同士であったのだと

推測しました。。

 

 

映画に出てくる犬クロについて

ご興味のある方はこちらからどうぞ👇

https://entame-channel.net/lager1-23-10-65

 

 



ラーゲリより愛を込めての遺書全文と内容 子どもたちへ 顕一 厚生 誠之 はるかへ から

4人の子どもへの遺書の書きだしは次のようでした。

 

君たちに会へずに

死ぬることが一番悲しい。

成長した姿が写真ではなく、

実際に一目みたかった。

お母さんよりも、

モジミよりも、

私の夢には君たちの姿が多く現れた。

 

妻、もじみへの遺書には

 

妻よ と

 

しか記されておらず

 

名前は出ていませんでしたが、

 

子どもたちへの遺書にはまず、

 

ひとりひとりに呼びかけるように

名前を記しています。

 

子どもたちに会えずに

 

死んでいくことが旗男の一番の悲しみでした。

 

子を思う親の愛の深さを垣間見るようです。

 

子宝 という言葉がありますが

 

幡男にとって4人のこどもたちは

 

大切な宝物であり

 

両手に包んで大切に抱きかかえていたい

 

そんな父として幼い子ども達を残していく

 

幡男の切ない気持ちが伝わってきます。

 

4人の子どもへの遺書は愛情たっぷりでしたね!

 

また、遺書の後半には

最後に勝つものは道義であり、

誠であり、

まごころである。

 

友だちと交際する場合にも、

社会的に活動する場合にも、

生活のあらゆる部面において、

この言葉を片時も忘れてはならぬぞ。

 

人の世話にはつとめてならず、

人に対する世話は進んでせよ。

但し無意味な虚栄はよせ。

人間は結局

自分一人の他に頼るべきものが無い−−−といふ覚悟で、

強い能力のある人間になれ。

自分を鍛へて行け!

精神も肉体も鍛へて、

健康にすることだ。

強くなれ。

自覚ある立派な人間になれ。

父として子供達に

 

人生の指針を与えています。

 

死ぬ直前まで旗男は

 

子ども達が立派な大人になることを願った

 

子どもたちの父であったのです!

 

 

そして遺書全文の最後には

 

自作の戒名も記されていました。

 

久遠院法光日眼信士

 

山本幡男

 

一九五四年七月二日

この戒名の意味は

わからないのですが

遺書も書き終えて

 

自分はもう死んで行く

が整いました。

 

という、

 

幡男の心情が伝わってくるようです。

 



ラーゲリより愛を込めて遺書 実話

ラーゲリより愛を込めての

遺書全文

と内容についてみてきました

 

この遺書は実話なのでしょうか?

 

先に記しましたように

社会的な地位のある

旗男の長男である山本顕一が

自身のホームページに

公表されていることから

 

わたしは

遺書は実話であったと

考察しました。




ラーゲリより愛を込めて 遺書全文の内容を読んで

仲間たち

家族のもの達へ

母へ

妻へ

子どもたちへ 宛てた遺書を

個々に見てきました。

 

死に行きつつあった幡男の

 

仲間たちに対しては

この遺書を託す思いを残し

 

母に対しては

子供としての自分の気持ちを、

 

妻に対しては

同士であり、

連れ合いであった者への

感謝の念を、

 

子どもたちに対しては

 

いかに

子どもたちに

愛情を向けていたのか、

 

子ども

ひとりひとりの将来を期待し、

 

人生の先輩として

生きる指針を与えていました。

 

何の階級もなく

 

無名の兵士であった幡男。

 

窮地にあっても希望を失わずに

 

前を見据えて

 

ダモイ!を合言葉に

 

仲間たちを

励ましていた幡男の

遺書でした。

 

ここまで解説してきましたが

遺書全文を読んで

見たくありませんか?

 

わたしは全文を

読んでみたんですが

やはり、

旗男のこういった気持ちが

とても伝わる内容でした。

 




まとめ

いかがだったでしょうか。

 

山本幡男が書き残し、

仲間たちが

 

驚愕の暗記するという方法で

持ち帰ったと

言われている

 

山本幡男の遺書。

 

仲間たちへ、母へ、妻へ、

子ども達へ書かれていました。

 

それぞれに

幡男らしさと

愛情が表現されていました

 

佐藤から

残していく家族のために

 

遺書を書くように勧めら

1日で書き終えたと

言われています。

 

佐藤や仲間たちが

暗記するという

世界中でも聞いたことのない、

 

前代未聞の方法によって

 

山本幡男の遺書は

家族の元に届けられました。

 

遺書は実話で実在していました。

 

しかも死の1ヶ月半前に

たった一日で

原稿用紙10枚ほどの量を

書いています。

 

病室で死を目前にして

横たわっている仲間に

 

遺書 を書くように

勧めた佐藤。

 

常識的には

難しいことですが

 

佐藤は

あれほど

ダモイ(帰国)に

執念を持っていた幡男に

進言することができました。

 

なぜで進言することが

できたのでしょうか?

 

遺書を書け!と。

 

それは、すなわち、

 

君はもう、

ダモイ(帰国)は

できない体なのだ!

 

諦めろ!

 

おまえは

生きては帰れないのだ!

 

かすかな希望を抱いていた

仲間に対して

立ち上がれないほどの

とどめの一撃の言葉だったと

思われます。

 

お茶を濁すような言葉をかける方が

どれだけ

気が楽だったでしょうか。

 

末期癌であった幡男に

ダモイだ!

がんばれ!と

気休めの言葉をかけた方が

どれほど笑顔で

会話がはずんだでしょうか。

 

けれども佐藤健雄は

 

幡男がどれほど

ダモイ(帰国)を

願っていたかを

 

ほんとうに理解していた

 

仲間であったからこそ

 

遺書を書け!と

 

言えたのでしょう。

 

佐藤は

 

たとえ、

 

どんな形であっても

 

シベリア捕虜という

 

同じ苦しみを味わった

自分の仲間であった

 

山本幡男を

 

日本に帰国(ダモイ)

 

させてあげたかったのだと

 

わたしは思いました。

 

映画『ラーゲリより愛を込めて』の

愛の中には

 

山本幡男の

家族への愛に加えて、

 

幡男に

向けられていた

仲間たちの愛も

込められていた

『。。愛を込めて』であり、

 

幡男と仲間たちの

愛の象徴が

遺書であったのだと

 

考察しました。

 

山本幡男は

無名の兵士であった

けれど、

 

素晴らしい

仲間たちと共に

闘っていた

兵士だったのですね。

 

出典:Fiber Bit

出典:平和祈念展示資料館

   Wikipedia山本旗男

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