フレディ日本!日本語も話せたの?日本好きがこうじて?!

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ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー映画

日本が好きだったと言われるフレディ。

イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト、

フレディ・マーキュリー(1946年9月5日~1991年11月24日)の

ドキュメンタリー映画『フレディ・マーキュリー

The Show Must Go On』

2024年2月16日から劇場公開されることになりましたね。

クイーンの日本ツアーは1975年~1986年までの10年間で6回開催されています。

今回はフレディがプライベートでも来日していたことが気になったので、

フレディの日本好きさや日本語が話せたのでひとりで日本を旅行したのか?

日本好きがこうじてどうしたのか?について調べてみました。



フレディは日本好き?

フレディ・マーキュリー。

フレディはイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト。

クイーンは今から約50年ほど前に一世風靡しました4人組のロックバンドです。

ビートルズの次に出てきたイギリスのロックバンドと言えば思い出していただけるでしょうか。

生まれはタンザニアです。タンザニアは東アフリカにある共和国です。

タンザニアにはイギリス領であったためタンザニアで生まれた人もイギリス国籍となるようです。

1970年のクイーン結成時からボーカリストとして活動しているフレディ。

クイーンは世界中で2億5000万枚から3億万枚もの音楽作品を作り上げた。と言われていますが

簡単に数字を習えてもあまりピンとこないですが

一般的にCDは100万枚売上られたらミリオンセラーと言われるので

3億と言えばその3000倍になるのですからそれはすごい数字です。

世界中で一番売れた音楽グループとして有名とされても納得しますね。

フレディの音域は4オクターブもあったと言われています。

一般人の音域はおよそ2オクターブと言われており

声楽家の場合は2~2.5オクターブ。

そして歌にするメロディーはおよそ1オクターブ半が目安と言われていますので

フレディがいかに音域の広い歌手であったかおわかりになるかとおもいます。

4オクターブも声が出せたらさぞかし歌うこと自体が楽しかったでしょうね。

また、絶対音感を持っていたと言われており学生の頃、

ラジオで聞いた曲を友達の前で即興でピアノで弾けたという逸話も残されています。

7歳からピアノを習っていた。と言われていますが

幼少期からの音楽教育も功を奏したのかもしれませんが

それ以前に持って生まれた才能だったのでしょう。

日本にも2,3歳からピアノを習っているキッズはたくさんおられますが

だからといってその子供たちの大半が絶対音感を持っている。

という話は聞いたことはありませんね。

クイーンが日本を初めて訪れたのは1975年4月。

フレディが29歳の時。

アルバム「シア-・ハート・アタック」のリリースにともなうツアーでした。

クイーンは結成5年後にすでに来日していました。

クイーン来日であった1975年4月17日午後6時30分JAL61便が羽田空港に到着した時、

空港にはすでに数千人ほどのファンが押しよせ空港は騒然状態に。

実はクイーンが初来日する約半月後の1975年5月7日には

同じくイギリスのかの有名なエリザベス女王が

イギリス元首の来日も予定されており

当時の日本はいわばイギリス一色のフィーバー状態だったのかもしれません。

エリザベス女王はさておき、

まずは、クイーンの初来日を見ようと人々が空港に押しかけていました。

1985年までの10年間で6回日本でツアーを開催しています。

1986年にはマーキュリーはプライベートでも来日していることが知られています。

クイーンが来日した時には必ず

フレディ・マーキュリーのボディーガードをされていたというのが

警備会社「東京パトロール」社長 伊丹久夫氏。

伊丹氏によりますとその当時、

日本におけるクイーンの知名度はそれほど高くなく、

母国の英国、米国でもまだ人気が広がっていない段階であったと言われています。

それでも数千人ほどの熱烈なファンがわざわざ初来日の空港まで出向いて

一目見ようとしていたのですからたいしたものですね。

1アーテイストにひとりづつのボディーガードがついていたとのことで

フレディを担当していたのが伊丹氏ということになります。

伊丹氏はクイーンのすべての来日とフレディのプライベート来日に

合わせて7回の来日時における警備を担当されていて

オフ日は個人的に買い物などにも同行し

お店との交渉などもされていたようです。

伊丹氏によりますと

フレディはかなり日本美術に造詣していて

九州の美術館やギャラリーで着物や帯、

九谷焼や伊万里焼の陶器や浮世絵、

アンティーク家具、木版画、

輪島では漆器も買いに行っていたとのことです。

絵画から木版画、輪島の漆器など

日本特有の工芸品に至るまでフレディが

これほどの日本ファンであったには驚かされました。

それだけ彼は日本の芸術の質の高さをとても評価していたんですね。

 

これほどの日本好きというか

ある意味でフレディが日本のファンであった?ようにも思えてきましたが。。

フレディですが日本語は話せたんでしょう?気になりますね。。。




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フレディは日本語を話せたの?

 

日本語は英語と語順もちがうので

外国人が学習するにはむずかしい言語であると言われていますがフ

レディは日本語を話せたのでしょうか?

 

フレディが日本語で歌っている曲がありました。

1976年に発売されたアルバム

A Day At The Races(華麗なるレース)』

に収録されている

「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」です。

ローマ字読みでは「手を取り合って」で、

 

曲の大半は英語ですが、

1分34秒から始まるサビの一部が日本語になっています。

この曲の作詞・作曲はブライアン・メイが担当し、

リード・ボーカルはフレディが担当しています。

1976年といえば初来日が1975年でしたので

その翌年ということになります。

この曲は通訳者を交えて2,3日で書き上げたと言われています。

また、1988年に発表されたアルバムには、

日本を歌うレアな曲があり、

フレディとモンセラート・カバリエが日本語で歌っています。

日本語で歌う曲は少なからずあったようですが

フレディが話せた日本語は

ライブでよくいうコンバンワ、アリガトウゴザイマスのほかに

カンパイ、オゲンキデスカなどといった

一般的な会話のさわりのような言葉であったようです。

簡単な日本語の単語は話せたようですが

会話になるほど話せるレベルということはなかったように思われます。

考えてみると確かに

日々練習や、音楽番組への出演やコンサートで

国内外を旅行していたのですから

日本語の学習をする時間もなかったかのではないでしょうか。

それにしても1回目の日本ツア-後の翌年に

日本語が入った曲作りをするのど

“ 日本 ”には心が向けられていたようですね。

初来日時の空港で待ち受けていた熱狂的ファンの姿が

いい意味で日本から自分たちは受け入れられている。

という気持ちにさせたのかもしれませんね。

誰だって、自分のことを熱心に待ちわびている人たちに対して

“悪意”ではなく“好意”を抱くものですものね。

フレディが難解な日本語に少しでも挑戦していた姿を思い浮かべるだけでもうれしくなります。

 

フレディの日本好きはたんに少し日本語が話せる。というレベルではなかったようですね。。。




フレディ、日本好きがこうじて。。。

フレディの親日家ぶりは日本コレクターだけにはとどまらずに

なんと、

自分の家の庭に日本庭園をそのまま造る?というレベルみたいでした。

 

フレディは、

ロンドンの自宅に日本人庭師を招いて

日本風の庭園を造らせていました。

当時、フレディがロンドンに持っていた自宅、

ガーデンロッジに日本庭園を作ったのは1987年夏~秋と言われています。

日本人のアーティスト高原竜太朗さんが造られています。

高原さんが21歳の頃に、

イギリスのガーデニング会社に勤務されていました。

丁度、その頃、

フレディから会社に日本庭園作成依頼があったそうです。

ガーデンロッジの敷地300坪の内、日本庭園部分は約100坪。

フレディからは

ガーデンロッジの自分の部屋の窓から

日本庭園がすべて見えるように作ってほしいとリクエストを受けられました。

ガーデンロッジの玄関(通用口)から入って右手に噴水があり

その反対側の約100坪に日本庭園を造庭。

日本庭園の中央に池、

池の向こう側に滝。

その後ろは桜の大木。

滝の横には茶室。

池には茶室に渡る純和風の橋も架けられました。

錦鯉は日本から空輸すると関税が高いので

イギリスの錦鯉愛好家から調達されたようです。

錦鯉は日本からの空輸ではなかったんですね。

思い浮かべるだけでも純日本庭園という感じがします。

京都にあるお寺の庭にありそうな日本庭園をイメージされたのでしょうか。。。

茶室まで作ってしまうとは美の極みを追及される方だったんですね。

ちなみにこのガーデンロッジはもともとフレディの所有物ではなかったようです。

日本人は土地を大事にする国民で

先祖代々の土地を守る。という風潮がありますが

イギリス人は家屋を大事にする国民で

古い家屋に手を入れながら暮らしているそうです。

ですので家を子々孫々に受け継いて行くというのではなく、

暮らしむきに合わせて転居し、

自分たちが住んでいた家はその家を必要としている人に継いでいくもの。という考え方。

よく手入れされた歴史ある家屋の方が

新築よりも資産価値があるようですね。

ですので新築の家を建てるのではなく歴史のある家に引っ越しをすることがステータスなお国柄。

確かに、

イギリスの映像では

新築の家よりもなんだか古めかしい造りの家が目につきますよね。

国によって家ひとつをとっても考え方が違うんですね。

ガーデンロッジ自体の歴史は古く1908年に芸術家夫婦が新築。

その後、何代も持ち主を代わり

フレディは1980年に銀行家ホア氏から購入しています。

1908年に建てられたのですが築116年となりますと

今から116年前というと日本では明治41年。

日露戦争が勝利に終わり

次の戦雲はあるものの日本が活気づいていた時代でしょうか。

国によって物の価値観が違う。とはよく言われますが

フレディがガーデンロッジを購入したのがガーデンロッジ築72年物ですから

フレディとしては宝物を見つけたような気持ちだったのかもしれないですね。

1987年頃にガーデンロッジに日本庭園を造園したフレディ。

フレディの願いであった

部屋の窓からは日本庭園の全貌を見渡すことができ大満足だったにちがいありません。

しかし、その満足感も長くは続かなかったようです。

フレディには病魔が忍び寄っていたのです。。

 



フレディ死因

フレディ・マーキュリー。

たぐい稀な才能を与えられ人々を熱狂の渦に招きこんだアーテイスト。

1991年11月24日夜に、彼はケンジントンの自宅で死去しました。

45歳でした。

死因は、エイズによる感染症ニューモシスチス肺炎であったと言われています。

フレディに関しては以前からエイズではないかという憶測が

マスコミによって報道されていましたが

1991年11月23日に自身から

エイズに感染していることが公表されていましたが

奇しくもその翌日に死去されています。

1950年にエイズと疑われる患者がアフリカで発見されました。

1983年にようやくエイズの原因となるウイルスが

仏パスツール研究所の

リュック・モンタニエ氏とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏ら

両人によって発見されており両人は2008年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

医学が発達した現在では治療薬も開発されエイズは治る病気とされていますが

1991年といえばエイズについての研究途上の時期だったと思われます。

エイズの感染経路が主に同性愛者で広まっていたこともあり

憶測が憶測を生みフレディはマスコミのターゲットになっていたのかも知れません。

私も当時、マスコミでフレディのエイズで亡くなった記事を見て驚いたことを覚えています。

フレディ・マーキュリーと日本とのかかわりについて見てきました。

フレディは日本人以上に日本の芸術に造詣が深かったようですね。

そして日本語の会話までは難しいかもわかりませんが

少しの日本語単語のつなぎ合わせ程度はできたようです。

日本滞在中は専属の警備員の方が同行して

日本の現地の案内などもされていたようです。

クイーン、フレディ・マーキュリーのドキュメンタリー映画

『フレディ・マーキュリーThe Show Must Go On』が

2024年2月16日から劇場公開されることになりました。

世界中からアーテイストが来日する昨今ですが

これほどまでに日本の美術品や工芸品、日本を愛したアーテイストが他にいたでしょうか?

フレディの遺品の中には日本に関するものが約200点以上もあったそうです。

日本人以上に日本の芸術のすばらしさを理解していたひとりだったのではないでしょうか。

映画を通して、

もう一度、日本をこよなく愛したフレディと出会われてはいかがでしょうか。

おススメします。

 

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出典:AERAdot

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