クイーン日本で人気なぜ伝説12の理由と日本愛

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Queenの人気なぜ10つの理由 伝記映画

クイーンは

約50年前に結成された

イギリスのロックバンドですが

未だに人気がありますね。

 

わたしはクイーンの音楽が好きです!

日本で人気のクイーン。

人気に秘密はどこにあるのか

気になりますよね。

どんな伝説があるのでしょう

 

ご一緒に

クイーンの人気なぜ伝説12の理由を

考察していきましょう。



クイーン日本で人気なぜ伝説/中世英国貴族が額縁から突如、登場?

長身でクルクルパーマのかかったロングヘアー

彼らのこの斬新なビジュアル

引き付けられた方も

多かったのではないでしょうか?

 

わたしも最初クイーンを見たときに

中世英国貴族が額縁から出て来たの?

と錯覚するほどでした。

 

バンド名も『クイーン』

イギリスと言えばエリザベス女王。

やはりクイーン、女王なんですね。

中世の英国貴族を思わせるような

彼らのルックス

50年前の若者たちは

新しいスター性をいち早く発見したのでしょう。

 

それを裏付けるように

ロックバンドであるにもかかわらず

 

男性ファンよりも圧倒的に女性ファン。

しかも、中高生女子ファンが

大半を占めていました。

 

長身なビジュアルと

イギリスっぽく

メンバー全員ロングヘアスタイルが

中世英国貴族風をかもしだし

クイーン!と結びつけたのが

クイーン人気なぜの1つの理由と考察しました。

 

フレデイ・マーキュリーの身長

についての記事はこちらです。

フレデイ・マーキュリー身長は?Queenメンバーは?子どもの頃は?
Queenのボーカルフレディマーキュリーは ロック歴史に名を遺すボーカルでしたね。 病魔に倒れ残念ながら 45歳という若さで 亡くなってしまいましたが その人気はいまも根強くあります。 わたしは歌っているフレディの姿が 大きく見えてカッコよ...

 




クイーン日本で人気なぜ伝説/初来日タイミングは仕組まれていた?

イギリスとの約100年の日栄友好史上初の

エリザベス女王初来日が1975年5月。

 

100年ってすごくないですか。

そしてクイーンの初来日が同じ年だった!

 

エリザベス女王初来日の

3ヶ月前にクイーン初来日!

 

すごくいいタイミングですよ。

わたし、ちょとここ、発見したんです!

 

感動しました。

というか、はめられてたのでは?!

とおもってしまうほどですね。

 

覚えておらえる方もおられるかと思いますが

当時の日本はマスコミのあおりも強く、

イギリスフィーバー!一色でした

 

英国君主として初めての日本公式訪問だったのです。

これはかつて世界を制覇した

 

あの大英帝国であったイギリスが

日本を世界に対して認知したということの

アピールでもあったように思われます。

 

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そしてクイーンはそのお膳立てのような形

エリザベス女王初来日の

 

3ヶ月前に初来日を果たしています。

 

その頃の日本の大衆の目は

アメリカではなく

 

完全にイギリスに向けられていた時期でもあったので

クイーンの初来日日程は仕組まれていた?

思ってしまうほど

 

ベストタイミングの来日日程となっていたと考察しました。

 

初来日で有名なエピソードとして

クイーンが降り立った東京羽田空港では

 

1200人のファンが押し寄せ、

クイーンの姿を一目見ようと

空港内に押し寄せていたファン、

 

奇声を上げる女の子たち

メンバーの姿を見つけると歓声があがり、

 

到着ロビーから出ては危険だと判断され

裏口から脱出しそのままホテルに直行した

 

エピソードは有名ですね。

 

しかしホテルにはすでに

100人ほどのファンが詰めかけていた。

と言われています。

 

このエリザベス女王と絡めた初来日日程の

グットタイミングさが

 

クイーン人気の2つめの理由だと考察しました。



クイーン日本で人気なぜ伝説/「ミュージック・ライフ」に仕込まれていた?

来日に先立つ1年前から、

洋楽雑誌「ミュージック・ライフ」

記事掲載されていました。

 

1973年「ミュージック・ライフ」の

若きライターだった

東郷かおる氏(のちに編集長となる)の元に

無名のデビュー前の無名新人バンド

テスト盤が編集部に送られてきたのです。

 

それがまだ無名時代のクイーンのレコードでした。

 

テスト盤を聞きいた東郷かおる氏は

 

“このバンドはすごいかも”

素直に思ったとのちに言われています。

 

そして来日に先立つ1年前、

「ミュージック・ライフ」1974年4月号に

同年3月に発売されたばかりの

 

クイーンのデビューアルバム『戦慄の王女』について

“新人からぬスケール”

 

大絶賛の記事を書かれています。

 

このあとも続きがありまして、

1974年イギリスのロックバンド

「モット・ザ・フープル」の取材で

ニューヨークへ行かれた時、

 

 

モット・ザ・フープルのコンサート前座に

登場したのはくしくも

クイーン!

 

彼らのライブを初めて観て

彼らの音楽の質、

 

ビーズの刺繡が入ったブラウス、

濃いアイラインにアイシャドウのメイク、

 

 

黒いマネキュアをしたフレディの妖艶さ

 

とても新鮮で、

その危うい感覚に

 

スター性と

必ず日本の女性ファンに受けることを確信しました。

 

とも語っておられます。

 

同年5月号「ミュージック・ライフ」にも

クイーンの特集記事を掲載されており、

 

記事見出しは

「遂に大英帝国に現れた戦慄の救世主」でした。

 

1970年~1990年代にかけて

洋楽ファンの間で支持されていた

 

ロック音楽雑誌「ミュージック・ライフ」は

1970年代の洋楽ロックの貴重な情報源として

 

当時の日本の若者の間で人気を博していました。

 

長期にわたり最大の発行部数を誇っていましたが

残念ながらインターネット普及などの

 

時代の変換には勝てず

1998年12月に休刊となっています。

 

以上から

今もなお続いている

クイーンの人気の源泉には

 

無名時代のクイーンの音楽性と

スター性をいち早く見出した

若きライターであった東郷かおる氏

 

当時の洋楽の登竜門的な本であった

「ミュージック・ライフ」への

掲載の功績が大きかったものと考察します。

 

ことは1年前から

「ミュージック・ライフ」仕込まれていたのです!

 

それを裏付けるようにwikiには

“1970年代は、当時最も売れていた洋楽誌

『ミュージック・ライフ』が

大プッシュするかどうかで、

英米のロックスターの

日本での人気は大きく左右された。

出典:Wikipedia ビック・イン・ジャパン

とあります。

クイーン初来日のあの絶叫ファンのお出迎えの裏には

 

その一年前に火付け人が火を付けていたのですね。

 

来日に先立つ

1年前の洋楽雑誌

「ミュージック・ライフ」に記事掲載が

クイーン人気の3つめの理由と考察しました。




クイーン日本で人気なぜ伝説/あの伝説的バンドに関係が?

イギリスが生んだ世界の

ビートルズの解散が1970年

そして王座を入れ替わるように

 

イギリスで産声を上げた

クイーンのバンド結成が1971年。

 

ビートルズロスだった大衆の心の穴に

すっぽりと入れ替わり

 

王座の座に座りこんだのがクイーンだったのです。

 

ここだけ観ても

クイーンの人気は時代の落とし子であったように思いますね。

 

ビートルズが引退した翌年の

 

クイーンのデビュータイミングが良かったことが

クイーン人気の4つめの理由と考察しました。



クイーン日本で人気なぜ伝説/ベルリンの壁に一撃ハンマーを振り下ろす!?

1981年2月南米ツアーで

アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、メキシコを回り、

この大規模な南米ツアーが成功して

現地で大フィーバーを博したクイーン

 

これらの国の顔ぶれを

思い浮かべてもお分かりのように

みな、熱狂フィーバーしやすい国民性!

 

1984年南アフリカ共和国首都ヨハネスブルクツアー

 

1986年東欧ハンガリー首都ブタペストツアー

ベルリンの壁の崩壊は1989年

その3年前の共産圏崩壊直前で

体制に対する民衆の不満が爆発する寸前に

東欧ハンガリーブタペストツアーを決行していたのです!

 

民衆がそのはけ口を求め、

熱気を盛り上がるきっかけともなりました。

 

ヨーロッパ、アメリカ、

南米、アフリカ、東欧

未開拓地へのツアーを繰り広げ

パイオニア的存在の座を獲得。

これらの一連のツアーでも

知名度の高まりを世界的に見せつけました。

 

このどさまわり的な世界ツアーを繰り広げ

ベルリンの壁崩壊前夜ともいえる時期に

殴り込みを果たし東西を制覇!

世界的にも人気を博していたことが

クイーン人気の5つめの理由と考察しました。

まさに ”クイーン!” だったのです。




クイーン日本で人気なぜ伝説/日本愛ファンファースト

1973年ファーストアルバム

『戦慄の王女』が発表された時には

英国評論家から

 

「YESの二番煎じ」とか

「レッド・ツェッペリンの偽物だ」などと

 

罵詈雑言を浴びせたそうですが

 

その評価とは真逆に、

レコード売り上げ数が伸び

 

コンサート会場も大盛況でした。

これはクイーンが一般大衆からは

 

絶大な支持を受けていたからだと思われます。

 

クイーンの人気の理由は

ファンのニーズにこたえる曲を

 

常に提供していた結果。

ファンを溺愛し、

 

ファンファーストに徹した姿勢にあると考察しました。

 

例えば1975年

日本初来日で爆発的な人気の高まりを実感した

 

フレディとブライアンは

その翌年1976年には歌詞に日本語をと入れた曲、

「手をとりあって」

(原題:Teo Torriatte (Let Us Cling Together))を

発表しています。

 

この曲は、

1976年に発表された

クイーンの5作目のオリジナル・アルバム

 

『A Day at the Races(華麗なるレース)』に収録されています。

 

サビ部分では、

英語と日本語の歌詞が交互に繰り返されており、

 

日本のファンに向けたメッセージとして特別な意味を持っています。

 

このようにファンファーストの姿勢が

クイーンの音楽には随所に見受けられます。

 

日本人として

世界的に有名なアーティストが

 

日本人しか理解できない

日本語の歌詞を取り入れた曲を作ってくれた!

となればファンも大喜び

 

益々、ファンから支持を受け

 

ファン層の広がりにもつながっていったと思われますよね。

 

このように

ファンを溺愛するかのように

 

日本愛ファンファーストに徹した姿勢を貫いたことが

クイーン人気の6つめの理由と考察しました。

 

日本人よりも

日本ファンであったように思われるフレディが

 

いかに日本好きであったのか?を

ご覧になりたい方はこちらもどうぞ。。。

フレディ日本!日本語も話せたの?日本好きがこうじて?!
日本が好きだったと言われるフレディ。 イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト、 フレディ・マーキュリー(1946年9月5日~1991年11月24日)の ドキュメンタリー映画『フレディ・マーキュリー The Show Must Go...

 



クイーン日本で人気なぜ伝説/曲風を自由に変えていった

クイーンのメンバーは

異なる音楽的センスを持っており

しかもメンバー全員がそれぞれ作曲していました。

 

プログレッシブ・ロック

アート・ロック

グラムロック

アリーナ・ロックなど

 

メンバーひとりひとりが曲作りに参加するだけで

 

自然と多彩な作風の幅が広かり

より多くの異なるファン層を

取り込むことができたと思われます。

 

世界中の多種多様な価値観を持った

一般大衆に対して

多彩な曲風で答えていった結果が

 

世界中で

2億5000万枚から3億枚の音楽作品を売り上げ、

最も売れたアーティストの1組となったことを

表しているのだと思われます。

 

このメンバーひとりひとりが

曲を作りだしていたことが

多彩な音楽を生み出し、

アメーバのように形を変えて、

 

時代に合わせて

曲風のスタイルを変化させていたことが

クイーン人気の7つめ理由と考察しました。




クイーン日本で人気なぜ伝説/こぶしをあげて呼応!

フレディはオペラにも興味があり

ロックとオペラを融合させた

ボーカルであったと言われています。

 

フレディの歌唱法はロックを基盤に

黒人のソウルを取り入れ、

オペラの発声法を加えた歌唱法。

 

フレディの歌を聞いた聴衆は、

思わずフレディ、歌うまっ!

と引き込まれてしまうのでしょうか。

 

そしてステージ上で

からだを反り返らせながら

こぶしを高く挙げ

ファンを呼応して巻き込む

 

このステージパフォーマンスを観るだけで

こちらも思わずこぶしをあげて呼応したくなります。

 

現に、コンサート会場では

 

聴衆がステージと一体となって

からだを反り返らせて

 

こぶしを高く挙げ、呼応している様子が

見受けられます。

 

こぶしをあげて呼応!

 

カリスマのパフォーマンス!が

クイーンの人気の8つめの理由だと考察しました。



クイーン日本で人気なぜ伝説/全員で稼いでいた

クイーンが

素晴らしい楽曲をたくさん発表できたのは

メンバーひとりひとりが

個人的なヒット曲を持っていたからだと思われます。

 

フレデイ・マーキュリー

「Bohemian Rhapsody」

 

クイーンの代表曲で、オペラ風の壮大な楽曲です

「Somebody to Love」

フレディの感情豊かなボーカルが際立つ名曲

 

ブライアン・メイ

「We Will Rock You」

ブライアン作のハードロックアンセムで、

スタジアムでの演奏が定番

「Love of My Life」

ブライアンの美しいギターソロと

フレディの感情的な歌詞が魅力

 

ロジャー・テイラー

「Radio Ga Ga」

ロジャー作のポップでキャッチーな楽曲

 

ジョン・ディーコンが作曲した「My Best Friend」は、

クイーンのアルバム

『A Night at the Opera』(1975年)に

収録されています。

この曲はシングルとしては

リリースされていませんが、

ファンの間で非常に人気があります。

 

このように

メンバー全員がソロのシンガーソングライターで

ヒット曲を持っていたこと、

 

いわば全員で稼いでいたことが

クイーン人気の9つめの理由と考察しました。




クイーン日本で人気なぜ伝説/50年後もイギリス史上No.1?

2024年現在、

最も売れたアルバムを調査しました。

その結果、

クイーンが最も売れたアーティストの1組となっています。

 

彼らはイギリス出身のロックバンドで、

 

1970年代前半のハードロックブーム中にデビューし、

その後もスタイルを変化させながら

 

先にも述べたように

世界中で2億5000万枚から3億枚という

圧倒的な

音楽作品を売り上げています。

 

その中でも

彼らのキャリア前期を総括するアルバム

 

『グレイテスト・ヒッツ』は、

50年後の現在でもイギリス史上最も売れたアルバムとなっています。

 

このようにバンド結成50年後の2024年現在であっても

 

イギリス史上No.1のベストアルバムとなり

世界で最も売れたアーティストの1組となっていることが

クイーン人気の10つめの理由と考察しました

 

いかがだったでしょうか。

クイーン結成50年ほど経った現在でも

ファンを虜にする

クイーン人気の10番目の理由について考察しました。



クイーン日本で人気なぜ伝説/フレデイ・マーキュリーが突然

クイーンのメインボーカルであったフレデイマー。

現在とはちがってクイーンが

全盛期であった時代は同性愛が

認知されていませんでしたね。

兼ねてからフレデイマが

出ていました。

そしてカミングアウト!

その翌日、突然の死去報道に

当時、世界は

驚きに包まれたことを

覚えておられる方も

いらっしゃるのではないでしょうか

であったと考察しました。




クイーン日本で人気なぜ伝説/まぼろしの歌声

フレディがまぼろしの歌声を遺していったことが

クイーンの人気と伝説となった12番目の理由であると

考察しました。

 

いかがだったでしょうか。

今も世界に君臨するクイーン。

 

クイーンの音楽はいつ聞いても

魅力的であり

心を奪われてしまします。

 

2024年2月16日映画

『QUEEN ROCK MONTREAL』が公開されます。

 

この作品は

1981年にモントリオールで行った

クイーンの

伝説的ライブの模様を収めたものです。

高解像度映像や高精度なIMAXに対応しており

臨場感あふれる映像となっているこの映画で

再びクイーンを体感することができるようです。

 

昔、クイーンのファンだった方、

クイーンの全盛期を知らない方、

 

どなたさまも

この映画でクイーンの妖艶に

 

魅了される

12の人気の理由と伝説を見つけてくださいね。

出典:@Living 2019/05/31

 

映画『ボヘミアン・ラプソディー』は

2018年公開。

クイーンの音楽と

フレディ・マーキュリーの人生を描いており、

特に「ボヘミアン・ラプソディー」の

制作過程や

バンドの歴史的な瞬間を描いています。

 

 

映画『QUEEN ROCK MONTREAL』は

2024年2月9日~25日の4日間に限定し

クイーンがモントリオールで行った

liveの模様を収めた映画です。

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