佐藤愛子の娘・杉山響子と糸杉紗衣の関係とは?

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九十歳。何がめでたい ドキュメンタリー映画

『90歳。何がめでたい』の著者佐藤愛子。

エネルギッシュあふれる女流作家ですね。

佐藤愛子にはどんな娘がいるのだろう?と

知りたくなったので調べてみました。

ご興味のある方はご一緒にどうぞ!



佐藤愛子の娘

調べてみますと

佐藤愛子には息子と娘がいました。

 

佐藤愛子には2回の結婚歴がありました。

1回目の夫森川弘とは

1943年に結婚し1944年長男、

1947年に長女森川素子を生んでいます。

 

愛子が生まれたのは

1923年になりますから

20歳で結婚されていたんですね。

 

大正生まれの方は

21~23歳までには

約50%以上の女性が結婚していたので

当時としては平均的であったようです。

 

2024年現在、

素子は81歳となっており

娘といえども高齢者となっています。

素子は一般人として暮されていたので

詳細な情報はありませんでした。

第二次世界大戦の終戦が1945年。

一家は戦後復員した夫、長男とともに

千葉県東葛城群で帰農生活をされていました。

そんな暮らしの中、

1947年に素子が生まれています。

素子の少女時代は

終戦後の日本でしたが

一家は農家で生計を立てていたと推測しますので

米や野菜など

食べることには

不自由なく育ったと思われます。

素子が2歳の時、

1949年に愛子の父である

作家佐藤紅緑が死去しています。

当時2歳であった素子にとって、

おじいちゃんであった

紅緑の記憶はないのかも知れませんね。

 

 

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佐藤愛子の娘 糸杉紗衣と杉山響子と田畑響子と篠原響子の関係性とは?

結論からいいますと

糸杉紗衣と杉山響子と田畑響子と篠原響子は同一人物です。

どうして一人の人に

こんなにたくさんの名前が

あるのでしょうか?

 

そのからくりをくわしく見ていきましょう!

まずは先にも述べましたが

佐藤は最初の夫であった森川弘との間に

長男と長女を生んでいます。

長女は森川素子でしたね。

森川との別居中の1951年に

森川が死去したため死別となっています。

 

愛子は森川が亡くなる1年前の1950年に

同人雑誌「文藝首都」に参加し

そこで2番目の夫となる

田畑麦彦と出会っています。

そして

1956年、田畑麦彦と再婚しています。

1960年に生まれたのが次女響子となります。

しかしながら

この田畑麦彦という名前は

彼のペンネームで

本名は篠原省三。

ですので

響子の本名も篠原響子となります。

響子の結婚相手が

杉山弘幸で

結婚後、苗字が代わり杉山響子となりました。

 

この杉山響子がペンネーム糸杉紗衣で

小説『ハロー・グッドバイ』を発表しているんですね。

田畑麦彦の子どもであったので

田畑響子と呼ばれるも

田畑麦彦の本名が篠原であったので

響子の本名は篠原響子となり

杉山弘幸と結婚し苗字が代わって

杉山響子となる。

そしてペンネーム糸杉紗衣で作家活動をする。

という構図になります。



佐藤愛子の娘 まとめ

いかがだったでしょうか?

佐藤愛子には娘が二人いました。

長女は森川素子

次女は杉山響子(ペンネーム糸杉紗衣)

杉山響子の旧性は篠原響子

(父のペンネームの苗字をとって

田畑響子と表示されている場合もある)でしたね

次女杉山響子と

三女糸杉紗衣であるかのように

書かれているものもありますが

正しくは佐藤愛子の娘は2人でした!

わたしも最初は娘3人であると思っていたので

よくわからなかったのですが

調べてみてすっきりしました!

出典:Wikipedia
写真出典:近藤健

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