映画オッペンハイマーはどこまで実話?アインシュタインや毒入りリンゴ事件を検証

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ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー映画

アメリカの理論物理学であり

原爆を開発した人物、

「原爆の父」として有名な

J・ロバート・オッペンハイマー

(Julius Robert Oppenheimer、

1904年4月22日 – 1967年2月18日),

アメリカ合衆国の理論物理学者の

栄光と挫折、

苦悩と葛藤を描いた作品ですね。

 

わたしは

『オッペンハイマー』映画の中で

盛り込まれていたエピソードが

はたしてどこまで実話だったの?

気になったので調べてみました。

ご興味のある方はご一緒にどうぞ!


映画オッペンハイマーはどこまで実話?毒入りリンゴ事件?

映画の中で

ケンブリッジ大学院時代に

実験が苦手であるオッペンハイマーを

揶揄(やゆ)した

パトリック・ブラケット〈ジェームズ・ダーシー〉に

対して青酸カリを青リンゴに注入する場面がありました。

これは実話なのでしょうか?

オッペンハイマーの友人

フランシス・ファーガンによると

オッペンハイマーは

毒を注入したリンゴを

ブラケットの机の上に

置いたことを告白したことがあるが

誰も食べなかった。

オッペンハイマが

パトリック・ブラケットに対して

毒入りリンゴを

食べさせようとしたことは実話でした。

ただし、その毒が

青酸カリであったかどうかの詳細は

確認することができませんでした。

オッペンハイマーの両親は、

大学当局に

刑事告発や退学処分をしないよう説得しています。

その代わりにオッペンハイマーは

保護観察処分となり、

ロンドンのハーレー街で

精神科医と定期的に受けなければならなくなります。




映画オッペンハイマーはどこまで実話?共産主義的思想の支持者であった?

オッペンハイマーが

ジーンと出会ったのも

キテイと出会ったのも

共産主義思想の会合でした。

1930年 代 の ア メ リカは

「赤 の 時 代」と も呼 ば れ,

多 くの知 識 人 が

左 傾化 し た 時 代 と して知 られ て います。

オッペンハイマーも

多くの若い知識人と同様に

それらの会合に出席していました。

また、後に共産主義的思想と分類される

社会改革を支持し左翼とみなされる

多くの進歩的な活動に寄付をしていたようです。

ただし、

彼は公然とアメリカ共産党(CPUSA)に

加入することはなかったようです。

党員とされる知人を通じて

左派の大義に資金を提供していました。

オッペンハイマ-は

共産主義者であったとは

断言はできないものの

共産主義的思想の支持者であったことは実話でした。

オッペンハイマーの親しい仲間の多くは、1930年代または1940年代に共産党で活動しており、その中には兄のフランク、フランクの妻のジャッキー、 キティ、ジーン・タトロック、彼の女主人のメアリー・エレン・ウォッシュバーン、バークレー校の大学院生の何人かが含まれる。1954年に行われたセキュリティ・クリアランスの公聴会で、彼は共産党員であることを否定したが、自らをフェロー・トラベラー(共産主義の目標の多くに賛同するが、共産党組織の命令に盲従することを望まない者)と定義した

出典:池田光穂のポータルサイト J・ロバート・オッペンハイマー

 



映画オッペンハイマーはどこまで実話?不倫?

あるパーティで

スタンダード大学医学部の学生であった

アメリカ共産党のメンバーの

ジーン(フローレンス・ピュー)と出会い、

激しい交際に発展します。

『オッペンハイマー』は

映倫からR15+の指定を受けていますが

わたしは彼女との性描写が

今作のR15+指定を受けた要因の一つだった推測します。

今作がR15+の指定を受けた理由についてさらに知りたい方はこちら

映画オッペンハイマーR15+年齢制限なぜ?子どもと観るメリット&デメリット
原爆の父と言われる オッペンハイマーについての映画 『オッペンハイマー』には R15+と表示されていました。 このR15表示の意味はどういったものなのでしょうか? 映画のどの場面が年齢制限の理由になったのでしょうか? わたしは こどもを持つ...

映画の中では

オッペンハイマーが持ってきた花束を

むげにもゴミ箱に投げ捨てていたジーン。

彼女の激しい性格を描写しているようでした。

1939年オッペンハイマーはジーンと別れています。

そして同じ年に生物学者で

元共産党員のキティ(エミリー・ブラント)と出会います。

オッペンハイマーと出会った時は

夫がいたキテイ。

これも映画と同じですね。

オッペンハイマーは夫のあるキテイと不倫をしていました。

キテイが自分の最初の結婚は

数ヶ月しか持たなかったこと、

2番目の内縁の夫も

スペイン内戦で戦死している

共産党員であったと言っていました。

映画では

二人がそれぞれ馬に乗って

草原を駆け抜けて行くシーンがありました。

これは1940年夏、

彼女はオッペンハイマーとともに

ニューメキシコの

牧場に滞在していたことの描写だと思われます。

妊娠が発覚すると、

キティはハリソンに離婚を申し入れ、

ハリソンはそれを受け入れ、

1940年11月1日、

彼女はネバダ州リノですぐに離婚を成立させ、

オッペンハイマーと再婚しています。

キテイと結婚後も

ジーンと密会していたオッペンハイマーも

映し出されていました。

オッペンハイマーは

妻子ある身でありながら

昔の恋人ジーンと不倫をしていました。

そして結婚後も

共産主義者と関係性があった

このジーンとの関係を続けていたことが

やがて機密事項審査で問題視され

スパイ容疑をかけられる要因の一つになっています。

オッペンハイマーが不倫をしていたことも実話でした。




映画オッペンハイマーはどこまで実話?友人に長男を預ける?

1939年、

キティ〈エミリー・ブラント〉と出逢い、

不倫の果てに翌年に結婚。

映画の中では

産後うつになりアルコール漬けになっているキティ。

泣き叫んでいる赤ちゃんをあやすこともせず

オッペンハイマーに捨てゼリフを残して

片手に酒瓶を持ちながら部屋を出ていきます。

育児に手を焼いたオッペンハイマーが

夜遅くに車で

ベビーバスケットに

寝かされている赤ちゃんを連れて

共産党員であるキティの友人夫婦に

赤ちゃんの世話を頼みに行くシーンがありましたね。

映画では赤ちゃんであった長男を預けに行っています。

友人夫婦に ”自分の子ども” を預けたことは実話ですが

預けた時期は

マンハッタン計画中(1942~1945年)だったので

映画とは時期がフィクションとなっています。

実際にはマンハッタン計画中、

産後うつになったキティが

長男を連れて帰省したため、

寝る暇もなかったオッペンハイマーが

長女をキティの友人夫婦に預け、

数ヶ月後に「養子にもらってくれないか」と

まで持ちかけたと言われています。

結論的にはオッペンハイマーが

友人夫婦に自分の子どもを預けたことは

実話ですがそれは

第一子である長男ではなく

第二子である長女でした。

厳密に言えば実話ではなかったと考察しました。

しかしながら

これは時系列を遵守(じゅんし)すると

映画上映時間が長時間になりすぎるための

ノーラン監督の演出だったと推測しました。

 



映画オッペンハイマーはどこまで実話?キティはアルコール依存症だった?

キティの片手、

鞄の中にはいつも

酒瓶があった様子が写されていました。

キテイはアルコール依存症だったのでしょうか?

映画では第一子である長男出産後

すぐくらいからすでに

キティの片手には酒瓶が握られていましたが

実際には

キティのアルコール依存症が

表面化したのは

戦後プリンストン在住時に

上流生活の頃だとも言われています。

これも時期的なことを言えば

実話とはちがうようですが

キテイがアルコール依存症であったことだけを

見ると実話でした。

時系列を遵守(じゅんし)すると

映画上映時間が長時間になりすぎるための

演出だったと推測しました。




映画オッペンハイマーはどこまで実話?アインシュタインに相談していた?

結論からいいますと

映画の見どころとも言える

アインシュタインに

メモを見せたという場面は

実話ではないと考察しました。

映画の終盤に

プリンストン高等研究所で

オッペンハイマーと

アインシュタイン〈トム・コンティ〉が

再会している場面があります。

この場面は映画の序盤にもありました。

序盤の種明かしを

映画終盤で答え合わせをしているような展開でしたね。

オッペンハイマーが

アインシュタインに

テラーの計算式を見せて

アインシュタインに計算してほしい。

と話しかけていました。

しかしながら実際には

オッペンハイマーがマンハッタン計画の最終段階に於いて

テラーが主張するの信憑性について

アインシュタインに原爆計画を相談した

痕跡はありません。

オッペンハイマーが

数式を見せたのは

シカゴ大学でマンハッタン計画に携わっていた

物理学者のアーサー・コンプトン)シーンでした。

結局、

その可能性は「ほとんどゼロ(near zero)」という

ドイツからの亡命物理学者の

ハンス・ベーテ(グスタフ・スカルスガルド)の計算結果を拠り所に、

トリニティ実験は実施されたのです。

 

このエドワード・テラーが

提唱した理論が出した計算式では

「熱核反応の連鎖反応によって大気に引火する」

可能性を指摘していました。

つまり、核爆弾を爆発させた途端、

地球ごと吹っ飛んでしまうかもしれない……

という可能性が計算上に出てきたので

オッペンハイマーはその是非をどうしても確かめたかったのです。

その理論の根拠となるのがその計算式でした。

公聴会を設定し

オッペンハイマーを落とし込めようとした

ストローズは

穏やかな湖岸での

この場面で

オッペンハイマーが

アインシュタインに

自分を無視するように伝えたと

被害妄想を抱いていたという想定で

物語が展開して行きます。

いわば、

今作のメインテーマが

実は実話ではなかったということになると考察しました。



まとめ 映画オッペンハイマーはどこまで実話?

いかがだったでしょうか。

『オッペンハイマー』の中に描かれていた

エピソードの実話どこまで?6つの疑問について

検証しました。

 

実話であったこともあり、

実話でなかったこともありましたね。

 

わたしは

オッペンハイマーは

天才がゆえに

苦悩と苦しみがあった人生だったのだと考察しました。

 

最後までご一緒に検証していただき

ありがとうございました!

楽しかったですね!!

 

出典:virtualgorilla    

  池田光穂のポータルサイト J・ロバート・オッペンハイマ

  Wikipedia

  オッペンハイマ‐ オフィシャルサイト

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