マダム・ベー・その後

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マダム・ベー親子が脱北する3年間に密着し中国北部から大陸を縦断した映画『マダム・ベー』

マダム・ベーはその後どのようなくらしをされているのか気になりますね。

無事、脱北はされましたがマダム・ベーのその後はどうなっているのでしょうか?

ご一緒にみていきましょう



マダム・ベーのその後

2003年、北朝鮮から中国に出稼ぎに来ていた一人の女性。

脱北した当時、彼女はマダム・ベー。37歳

韓国の地にやっとの思いでたどり着いた彼女。

マダム・ベーのその後はどのようになったのでしょうか?

彼女はしあわせに暮らされているのでしょうか?

調べたところ、

マダム・ベーは脱北後、

韓国のソウルではなく

京畿道(キョンギド)と呼ばれるところでバーを経営しておられました。

中国人の夫とその義父母とは一緒に暮らしていません。

そして脱北させた北朝鮮の家族とも離れて暮らされています。

韓国でマダム・ベーはこの二つの家族に仕送りするためバーを経営して働いておられました。

それはご自身の生活のためでもありますが

中国と韓国にいる二つ家族に対する思いからではないか?と推測します。

二つの家族を持った故に、

片方を捨てて、片方を得ることは難しいようです。

マダム・ベーは中国人ブローカーにだまされて中国人と結婚した時も

北朝鮮に残してきた家族のために仕送りをされていました。

また、韓国へ脱北した後も中国人の夫、義父母と北朝鮮人の夫、

子どもへも仕送りをされていたようですので

マダム・ベーにとってはどちらも捨てがたい “家族” であり

どこに住んでも彼らのことは忘れることができない方のように見受けられます。

自分だけ幸せになっても本当の意味での幸せは叶えられるものではないことを

マダム・ベーの姿から見ることができます。

マダム・ベーにとってはどちらの家族も天秤にかけられない存在なのでしょう。

マダム・ベーは行動力のある女性で脱北という手段で

自分の願いを実現させることができましたが

北朝鮮には厳しい情勢下でも無言で生きている女性が多くいるのかもしれません。

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脱北後のマダム・ベーは中国人の夫への思いと

北朝鮮に残してきた家族への思いの両方を捨てきれない状況にあったように思われます。

この映画は脱北とは当時者と残された人たちの人生をも狂わせてしまう

二重苦以上の苦しみを背負いながら生きて行く選択でもあることを

強烈に映し出しています。

いかがだったでしょうか。

脱北後のマダム・ベーのその後は

韓国でバーを経営しながら

二つの家族である中国人の夫と

義父母と脱北させて北朝鮮人の家族へ

仕送りする暮らしをされておられました。

2024年現在のマダム・ベーは54歳になられていることから

現在も脱北後と同じ暮らしをされているかどうかは不明でした。

マダム・ベーのその後について考察しました。

どの国にあっても自分を犠牲にして

家族のために働いていたマダム・ベー。

彼女が今、しあわせに暮らしておられることを願います。




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