『カムイのうた』アイヌ・ざっくりあらすじキャスト・知里幸恵

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今から約100年前、1人のアイヌ女性がその生涯をかけて遺したものとは何か。。

文字を持たない民族。アイヌ。親から子へ子から孫へとその崇高な文化を受け続けてきた人々。

風前の灯火のごとく消え失せかけていたユーカラクルを後世の遺した女性の物語。

カムイのうた。

all北海道でガツンと行きます!!


『カムイのうた』アイヌ・あらすじキャスト

大正6年(1917年)。

テルは女学校への進学を希望するが

学業優秀にもかかわらず結果は不合格。

アイヌというだけで。。

女子職業学校へアイヌとして初めて入学したテル。

けれども級友たちから土人と呼ばれ差別を受ける。

理不尽ないじめにあうテル。

そんな頃、テルの非凡な才能を見抜いた

アイヌの叙事詩ユーカラ

研究者である兼田教授の勧めで

テルはやがて東京。

文字を持たない民、アイヌ。

テルは口語伝承文化であった叙事詩ユーカラクルを

世に遺す作業に没頭していく。

『アイヌ神謡集』が完成したその夜。。。。

『カムイのうた』は

北海道東川町が企画協力制作した

アイヌ文化とうつくしい「大雪山文化」を伝える

キャスト

■製作陣
・監督/脚本:菅原浩志氏
・主演:吉田美月喜氏
・制作: シネボイス
・制作協力: 写真文化首都「写真の町」北海道東川町
川村久恵氏/旭川アイヌ協議会
・アイヌ語・アイヌ文化監修:藤村久和氏

■キャスト
・吉田美月喜(よしだ・みづき):テル役
・望月 歩(もちづき・あゆむ):一三四(ひさし)役
・島田歌穂(しまだ・かほ):イヌイェマツ役
・清水美砂(しみず・みさ):兼田静役
・加藤雅也(かとう・まさや):兼田教授役

出典:北海道東川町2023.7.3



テルのモデルとなった知里幸恵の人生とは

テルのモデルとなった知里幸恵とは

どんな時代に生きた人だったのでしょうか?

幸恵が生きた時代とは。。?

知里幸恵が生きた時代は

大正から明治へと変わりつつあった北海道登別

今から約100年以上前の人物

アイヌは産業を特に持たず

農業・狩猟・漁業で生計を立て

北は樺太、東は千島列島から

カムチャッカ半島の先住民であるイテリメン人と

交易を行い樺太北海道千島列島を中心に

一大文化圏を築いた。

”崇高な文化”であるゆえに文字を持たず

親から子へ子から孫へと

口伝えでその文化を継承してきた民族。

明治政府はロシア南下の脅威だけでなく

鉱物資源を求めて北海道へ開拓団を派遣し

平和で穏やかだったアイヌの人々を

土人(土着民)と呼び

その生活を一変させた。

さらに明治政府に漁業権・狩猟権などの生活基盤を

収奪されたことにより

アイヌ人は経済的にも極貧へと追い込まれた。

アイヌ民族、アイヌ伝統文化はまさに風前の灯火となった。

幸恵に流れるアイヌ民族の血とは。。。?祖母・伯母・天才姉弟!

祖母・モナシノウク アイヌ口述叙事詩ユーカラクルの謡い手

カムイユカラは文字を持たないアイヌ文化、

民族としてのアイデンティティを子孫に継承していく手段であった。

 

知里幸恵(1903年明治36年~1922年大正11年)北海道登別市

稀有な才能をアイヌ伝統文化の復権復活に捧げた19歳の乙女

北海道幌別群(現・登別市。札幌市から南へ約100km)

父・高吉(1884‐1961)母・ナミ(1879~1964)

 

7歳~13歳 近文コタン(現・旭川市)の

伯母金成マツのもとに引き取られ尋常小学校に通う。

当初は和人の子供と同じ学校であったが

のちにアイヌ人のみの学校が設置され学業優等で尋常小学校を卒業。

 

14歳~  旭川で実業学校(旭川区立女子職業学校)まで進学。

アイヌ語も日本語も堪能で

アイヌ史上初めて北海道庁立の女学校に受験するが不合格。

優秀なのになぜ?クリスチャンだから不合格になったのでは?

と噂が町中に飛び交った。

15歳 言語学者、民族学者、文学博士、言語学者で

『新選国語辞典』など多くの辞典の編纂者として有名な

金田一京助教授(國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授)が

幸恵の家を訪ね、祖母・モナシノウクから

アイヌの伝統文化を記録する姿を見る。

金田一京助のカムイユカラ研究の熱意を受けた幸恵は

やがて東京の金田一宅に身を寄せて翻訳作業に没頭し

『アイヌ神謡集』完成した夜、心臓発作のため死去。

幸恵19歳。

 

弟 知里高央(ちり たかなか)は教師でアイヌ語の語彙研究者

 

弟 知里真志保(ちり ましほ)は言語学者で東京大学卒。文学博士

アイヌ初の北海道大学名誉教授となった。

当時の新聞雑誌では「アイヌの天才姉弟」と評した。

 

いかがだったでしょうか。

わたしは明治から大正にかけての時代でこれほど優秀な姉弟がアイヌ民族におられことを知って

驚きました。

”歴史に埋もれる” という言葉がありますが

今作を通して決して”歴史に埋もれてはならないことがあって、

後の時代の人たちに北海道には

アイヌ民族がいて彼らは独自の尊い文化を持っていたこと、

そして彼らは北海道の先住民であったことを

日本人として忘れてはならない。と考えさせられるものとなりました。

 

『カムイのうた』

知里幸恵が19歳という命をかけて作った

『アイヌ神謡集』は

英語・フランス語・ロシア語・エスペラント語にも翻訳され

2006年フランス人作家ル・クレジオが

フランス語版出版報告に幸恵の墓前を訪れているんだそうです。

 

 

 出典:北海道東川町2023.7.3

文化遺産オンライン

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