枝優花愛用カメラ・中学・高校・大学『少女邂逅』 

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29歳枝優花監督。『少女邂逅』が公開前に口コミなどで話題沸騰!女性監督として今や注目度up!枝優花とは。。。?と気になったので調べてみました!!


枝優花監督が使用しているカメラは。。。?

愛用カメラは数台。まずはNikon F3  PENTAX67。カメラにはちょっと疎いのでどんなのか。。。?調べてみました!

愛用カメラ その①Nikon F3 !

枝優花監督が愛用しているNicon F3。

まずは ”名機”だそうです。

どんなところが”名機”なのでしょうか。。?

F3はNikonのカメラの中でもF、F2、F3、F4と続いた、

「F一桁」と呼ばれるプロ用一眼レフのひとつ

製造開始は古く

1959年に発売されたNikon Fからの

シリーズで2004年発売のNikon F6 まで6種類の

プロ用フラッグシップ機種があるそうです。

その中、真ン中に位置するのがF3なんですね。

その中でもっとも長期間製造されていて、

多くのひとに愛用されたカメラだとか。

なるほどですね。

長期間製造されているロングセラー商品で

しかも現在ではわりと安価で購入もできる

となれば若者でも手に入れそうでですね。

しかも、頑丈+使いやすさも抜群なため

初心者フイルムカメラとしてオススメ度No.1!

ではではその「F一桁」の特徴は。。?

F一桁の特徴は、

すべてのカメラのなかでトップクラスの信頼性と頑丈さ。

報道カメラマンや

戦場カメラマンの相棒として

使われてきたことも。

その信頼性を裏付けられているんだとか。

そうなんですね。

ほぼほぼの報道カメラマンや

戦場カメラマンが撮る

一瞬の場面でもクリアで

鮮やかな画像の元は

ここにあったんですね。

納得します!

カメラマンが自分の相方さんとして

肌身離さず愛用しているわけですね。

F3の発売は1980年というので

今から約40年程前のこと。

ブラッシュアップを重ねて

派生機種を生み出し生産完了は2000年。

その後はF4。。と続いていくんですね。

他に類をみない程の超ロングセラー商品。

それがNikon F3でした。

さすがですね。

Nikon F3のスペックについて具体的に。。。

形式 電子制御式35mm一眼レフフォーカルプレーンシャッターカメラ
撮影モード 絞り優先AE・マニュアル露出
専用スピードライト(ストロボ)使用時にTTL自動調光可
露出計 TTL中央部重点開放測光
SPD受光素子使用
シャッター 8秒〜1/2000秒、B、T
チタン幕横走りフォーカルプレーンシャッター
電子式(緊急用1/60秒機械式シャッターあり)
セルフタイマーあり(作動時間10秒)
シンクロ速度1/80秒
電源 SR44(Amazon)x2もしくはLR44(Amazon)x2
レンズマウント Nikon Fマウント
対応レンズ 完全に対応:Aiレンズ、Ai-Sレンズ、AiAFレンズ
機能制限あり:非Aiレンズ(オートニッコール等、絞り込み測光のみ可)
使用不可:絞り環のないGレンズ
ファインダー 交換式
視野率100%
大きさ 幅 約148.5mm x 高さ 約96.5mm x 奥行 65.5mm (ボディ)
重量 約700g(ボディ)
デザイン ジョルジェット・ジウジアーロ
定価 139,000円(発売時)
183,000円(販売終了時)
※ともにアイレベル・ボディのみ
販売年 1980〜2000年

※参考文献 アサヒカメラ1980年5月号 ニューフェース診断室 No.274

愛用カメラ その②PENTAX67!

PENTAX67は中判カメラ。

業界用語で俗に”バケペン”の別称でも

親しまれている機種だそうです。

重さはカメラ本体だけでも約2.4㎏。

レンズなどを含めると2.8㎏にもなるというので約3㎏。。。。

新生児赤ちゃんの平均体重が約3㎏と言われているのでまあまあ。

重いですね。

赤ちゃんはぷよぷよしてて

ママのたっぷり愛情も体重にのっかってるので

さほど重くは感じないかも?ですが。。

なんせカメラは道具なので。。

しかもカメラだけではないので。。

その他の諸々を持ち合わせると。。

そうですね。。5~6㎏くらいの総荷物になるのでしょうか?

結構な重さになるのだと思います。。

手持ちで撮影する場合は

シャッター音♪が感じられて

”撮ったゾ!♡感”

が感じられることや

返って重さがあることで

撮影している感覚が得られる

良いところだそうです。

撮った瞬間にバッシっ♪の

シャッター音を聞いたら思わず

”よっしゃー!”

と言いたくなりますしね。(関西弁ですが。。)

高揚感も生まれますし。。

達成感も得られますね。

PENTAX67は

大型ファインダーを搭載しているので

ファインダーから見える画像が大きく、

明るく、見やすいのも

チャームポイントなようなので

ファインダーから覗いたときに見える

被写体との一体感も体感できるんでしょうね。。

しかしながら重さはしっかりとあるので

うっかり手から滑り落としでもしょうものなら

涙だだもれで号泣しそうになりますね。

くれぐれも取り扱いには要注意!

と機種となるようです。

一般的に報道カメラマンが使用するカメラは

軽量で携帯性が高く、

操作性が良いミラーレスカメラがよく使われているようです。

軽量一眼レフ Nikon F3と

重量感があるPENTAX67を上手に使い分けておられるんですね。

枝優花監督はスランダーな29歳女子。

考えるとさっすがだな!と

一目置いちゃいました。

やわじゃないんですね。

やっぱり。監督なので。

さてさて、

やわじゃない枝優花監督が

どのような人生(29歳生)を過ごされたのでしょうか。。。


枝優花 中学時代~高校時代。人生の出会い!?

人生の出会い その①幼少期編

幼少期は一人でいたり

おじいちゃんおばあちゃんと

過ごす時間が多かったとのこと。

主に映画を観ていた子供時代。

子供の友達はTV!とよく聞きますが。。。

画面の向こうに

友達がいるような感覚で

いつか画面側に行きたいと

思うようになったとか。

お母さんもお仕事をされていたのでしょうか。。。

幼少期の頃から

おじいちゃんおばあちゃんっ子だったんですね。

それで家で映画鑑賞。。

よくあるパターンですが。。

ちょっと

ちがう出会いもあったようですよ。。

それが小学5年生の10歳。

小さな。。いやいや後々になると

この小さいけれども

大切な出会いが

のちの人生の大きなポイントになったようです。

それは ”広告を見た!” こと。

10歳の頃なにげに見たワークショップの広告。

町内会回覧板に貼ってあった1枚の広告。

それがワークショップ開催の広告だったんです。

ワークショップに興味を持った5年生だった枝監督は

自分のお年玉を使ってワークショップに通うことに。

それも10歳~16歳まで。

5年生で誰も知り合いがいない世界に飛び込んで行く。

それも自分のお年玉を使って通いたい!と

強く魅かれていったところに

普通の小学5年生にはない

何かを持っておられたんですね。。。

ワークショップで演技をしたり

人の演技を見たり、

仲間と何を一緒に作る楽しさを味わったのでしょうか。


人生の出会い その②中学編

そしてまたまた、

人生の出会いが待ってました。

中学2年。

中学2年14歳の時にワークショップに来ていた監督から

岩井俊二監督の『リリイ・シュスのすべて』を

貸してもらうことに。

この映画で映画の中の登場人物と

自分を重ね合わせることを体感し

映画が持つ魅力に魅かれて行かれるようになられたと言っておられます。

ここでも人生の出会いがあったんですね。。。

でも実際通っていた中学校でいじめにあい、

友達と上手く行かず

進路は中学時代の友達がいない

東京農業大学第二高校在学中を選ばれました。。。

そうですね。

人生すべて

真正面から取り組むばかりが能ではなく

時には 離れる!

ちがう道から行く!

逃げるが勝ち!の

言葉もありますからね。

人生の出会い その③高校編

小学5年生10歳~高校1年16歳まで続けて通ったワークショップ。

よっぽど魅かれる何かがあったんですね。

後に枝監督は ”現場が好き”と言われていたことがありますが

その原点は

10代の頃にワークショップで出会った、

みんなで作品を作りあげる楽しさの心地よさ。

演技者の集まるところが楽しかったんでしょうね。

中学2年生14歳の時に

ワークショップに手伝いに来ていた監督が

貸してくれた、岩井俊二監督の映画『リリイ・シュスのすべて』を観て

映像の中のいる少年少女と自分が重なった。とのこと。

そして、その後にも続きがあって。。。

高校1年生16歳の時に

あの映画『リリイ・シュスのすべて』を

もう一度観る機会があり

”こんなに田舎の女の子の傷に

寄り添って物語を作ってくれる大人が

映画業界にはいるんだ ”

と14歳の時に感じたものとはちがう衝撃を受けることになったそうです。

そして

”映画をちゃんとやってみたい”と

いう気持ちが湧いてこられたとのこと。

人生は出会いだ!”

なんて言葉を聞くことがありますが

東京農業大学第二高校の高校生だった枝監督に

人生の出会いがあったようですね!

そして。。。


人生の出会い その④大学時代編『少女邂逅』。。。

大学は東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科。

入学を機に東京へ上京。

なんと、

上京初日に

早稲田大学の映画サークルに入部!

その3か月後、

大学1年の19歳の時に

サークル内で

第26回早稲田大学映画まつりに出品するために

みんなで一本映画を作ることになったとか。。。

しかしやしかし、

ここで監督担当の先輩が脚本を持って失踪~っ!

こんな場面ってありますか。。?

人生の中で。。

サークル内で3時間の話し合いでも何も決まらず。。で

痺れを切らした入部三ヶ月目の新入生枝優花が

思わず手を上げ監督を引き受けることになったとか。。

これもまた凄いですね。

度胸があるというか。。。

10歳~16歳までワークショップで

演技の世界と触れ合い楽しかった思い出が

新入生枝優花の背中を押して

手を挙げさせることになったのでしょうか。。

新入生枝優花がとりあえず書きあげた脚本を

先輩に読んでもらったところ

すごく褒められて。。

後に当時を思い返して

枝優花監督は『この人によって今の自分が存在している』と言っています。

まさに人生の出会い。

だったんだそうです。

失踪先輩の代わりに急遽制作した『さよならスピカ』を出品した

第26回早稲田映画まつりで、

当時審査員を務めていた松居大悟監督らから評価され。。

なんと、審査員特別賞を受賞!(びっくらポン!)

次年度の2014年にも『美味しく、腐る。』で観客賞を受賞!

と続き、

卒業後の2017年、

演劇関係のスタッフとして働く傍ら、

自らが脚本と監督を務めた

初の長編映画『少女邂逅』が

公開前に口コミなどで話題となり

上映館が拡大!!

新宿武蔵野館ではロングラン上映され大ヒットとなった。。。

という落ちになったのです。

こんなふうに見てみると

枝優花という監督は

幼い頃からの人生の要所要所で

”出会い”があり

その出会いというか

チャンスを落とさず

手に入れた方だったんだなあ。。。と

思ってしまいますね。。

それはやはり持って生まれたものだったのでしょうか。。。

23歳にして制作した

初の長編映画『少女邂逅』は

インディーズ映画ながら

異例のロングランヒット。

現在は

ドラマやMVの監督、

写真家、

ライターなど

多岐にわたる活動をしつつ、

誰かの心に届くような

映画を作るために挑み続けておられます。

この先もイケイケgo!go!で

人生のいい出会いをして行ってくださいね!

いってらっしゃーい(びっくらポ~ン!)

 

 

 

 

 

出典:GENIN

   Wikipedia

   Sunrise Photo

   https://kakeagari.com/  2022年1月6日

GRIN


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