中村耕一と遥海が共演『はじまりの日』日比監督あらすじ

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中村耕一(元JAYWALKボーカル)と

遥海(はるみ)が共演する映画『はじまりの日』。

リトライする実力派歌手中村耕一と新悦の歌姫遥海がタックルする話題のミュージカル映画。

日比監督の今作!二人をコラボさせた日比監督とあらすじとは?

2024年春注目の話題作を先取りしました!!


中村耕一 JAYWALKからの脱退、解散その後。。

『何も言えなくて。。夏』で多くのファンを魅了した中村耕一。

元JAYWALKのボーカルでした。

紅白歌合戦にも出場しバンドとしても絶好調であった彼が

突然の脱退。。その後は。。。?中村耕一について再考察します!

中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 – )

北海道出身、元JAYWALKのメンバー(ボーカル、ギター担当)でした。

北海道出身で1969年、函館有斗高校1年生の時にアマチュアバンド結成されています。

卒業後後もボーカリストとして地元でバンド活動を続けられていました。

1980年、J-WALK(現・THE JAYWALK)結成とともに参加。

1981年にデビューされています。

1993年に当時のヒット曲『何も言えなくて…夏』で

第44回NHK紅白歌合戦に出場を果たされています。

紅白歌合戦に出場できるほど人気があったバンドでした。

しかし。。。

覚せい剤取締法違反での逮捕

2010年3月9日に」覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕されています。

2010年5月、

覚醒剤やコカイン所持で覚醒剤取締法違反などの罪で

懲役2年執行猶予4年の判決を受けました。

芸能界の方々で覚せい剤取締法違反で逮捕されている方々が数名おられましたが

中村もその一人であったこの事件は当時衝撃的でした。

紅白歌合戦にも出場し人気もあったバンドだったので

ファンの方々の驚きと落胆はいかばかりだったでしょうか。。

歌を通して人々に笑顔と勇気を与える立場の方がこのような事件を引き起こすことは

悲しみであり残念なことです。

判決後は専門家のカウンセリング以外は自宅で息子の弁当を毎日作っておられたようです。

中村自身はインタビューで

「償いと自戒を込め、判決後は音楽活動を止める覚悟だった」と振り返っている。

2011年3月10日を以てJAYWALKを脱退。

中村耕一と言えばやはり

1991年の大ヒットした『何も言えなくて。。夏』ですね。

JAYWALKのボーカルでした。

私にとっての『何も言えなくて。。夏』は

もう20年以上も前の曲ですが

今でも知らず知らずのうちに心の中で口ずさんでいる曲の一つです。

JAYWALKがメジャーデビュー30周年の大きな節目であった年、

2010年(平成22年)3月9日に覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕されました。

私は。。ビックリしかなかったですね。。。

その後、予定していたすべての記念全国ツアー、

ライブやイベントはすべて中止。CDもショップから撤去。

本人は勿論ですがメンバーや所属事務所にまで及んだ

罪のくびきの重たさを感じました。

海岸に打ち付けた波がサーツと引いていくような引き際の良さというか。。

速さというか。。。

2010年3月10日付で所属事務所と契約解除、

同時にロックバンドJAYWALKからの脱退に際し同日、

本人が報道各社にFAXで心境を綴った書面には。。。

中村耕一 コメント全文。

この度、

私、中村耕一は、

所属事務所である株式会社フリーウェイとの合意のもと、

JAYWALKを脱退することにいたしました。

事件を起こしてしまってから1年が経過しました。

この事件により、

メンバーや所属事務所をはじめ関係者の方々、

そしてファンのみなさんに

多大なるご迷惑をお掛けしてしまいました。

取り返しのつかないこととはいえ、

今更ながら自分の犯してしまった罪の重さを痛感しています。

JAYWALKは長きにわたって続けてきたバンドであり、

本当にいろいろな想いがあります。

しかし、

自分が背負わなければならないこの重い責任は

「脱退」という形で取るべきと以前より考えておりました。

将来また音楽をはじめることができるにしても

すべてゼロからスタートしなければならないと思ったのです。

JAYWALKに復帰することを待ち望んで下さった

ファンの方々の気持ちは本当に嬉しく思っています。

大変申し訳ありません。

現在、判決後通い始めたクリニックの通院を継続し、

反省を重ねながら、

社会復帰に向けて一日一日を大切に過ごしています。

判決の後でお話ししたとおり、

私の取り柄は音楽しかありません。

いつかまたみなさまの前で歌うことができるのかは分かりませんが、

将来その日が来たときにはどうぞよろしくお願い申し上げます。

中村耕一   出典:日刊ゲンダイDIGITAL2021.11.15

とありました。

判決後は専門家のカウンセリング通院以外は自宅に籠り、

息子さんの弁当を毎日作っていたんだとか。

私は息子さんのことを考えました。

元スターでカッコ良かった自分のお父さんが

家で自分のお弁当を作ってくれてる。

台所に立つ中村の後ろ姿をどんな思いで見てたんだろ。。

学校にも行きにくかったはずなのに。。

毎日お父さんが作ってくれるお弁当を食べてたんだ。。。

お弁当を食べてくれる息子さんがいたから

支えてくれる奥さんがいたから踏ん張れたんですね。。。


2011年3月11日東日本大震災の津波が引き寄せた縁とは。。

中村が再生するきっかけとなったのが

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

宮城県石巻市へ救援物資を持ち込み、炊き出しボランティア活動への参加。。

2011年宮城県石巻市にある香積寺住職から、

石巻市内で被災した檀家の葬儀での献奏を依頼される。

判決後は歌を辞める覚悟でいた中村だが、

中村の過去も知った上での依頼であったため引き受けた。

その後、

津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校の関係者らが

避難していた石巻市の飯野川中学体育館で

ある女性に「私はすべて無くしました。

でもあなたには歌がある。

私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさいね」と声をかけられる。

そして食事の後に周囲の被災者からリクエストが寄せられて、

アカペラで歌唱した。

この出来事について中村はインタビューで

「香積寺のご住職、避難所で声をかけてくれた女性、

被災者の皆さん。

そして大きな拍手。

今も忘れられません。

あの体験がなかったら、音楽はやめていたかも知れないです」と語っている。 出典:Weblio

津波にさらわれて何もかも失った女性からかけられた言葉。

あなたには歌がある。。。

その後少しづつライブをするようになり

今では日本全国で年100回くらいライブされているようです。

1951年生まれなので。。

今や70代で年間100回のライブをこなすとは

並大抵の情熱がなければできないですね。

その中村耕一が今作について

”。。。半分くらい僕ですね。。まあまあ実話に近いところもありますし。。。”

とコメントされています!

楽しみですね!!


中村耕一とコラボする歌姫・遥海(はるみ)。。歌唱力!!

ヒロイン役の遥海とは。。。私は遥海さんについては知らなかったので調べてみました。

遥海(はるみ、1996年6月25日生まれ。

2020年5月20日シングル『Pride』メジャーデビュー。

本格派・実力派のシンガー

『Pride』は、テレビアニメ『波よ聞いてくれ』(2020年4月~6月)の

エンディングテーマソングとなった

2021年9月公開の映画「科捜研の女 -劇場版-

(「科捜研の女」の劇場版)の主題歌「声」の歌手に抜擢され

さらに「声」は2021年10月からの

テレビドラマ科捜研の女』Season21の主題歌

2022年初アルバム『My Heartbeat』をリリース

2020年ミュージカル「RENT」のミミ役として出演。

2023年の再演でも出演

2023年ミュージカル「ラグタイム」サラ役で出演し、高く評価された

遥海は、「言葉を歌で伝えるアーティスト」として、

表現力の高さに定評があり

本人も言葉や喜怒哀楽を伝えることを重視している

また、フィリピンのタガログ語に加えて、

日本語詞の曲も英語詞の曲も日本語・英語ミックスの曲も、

それぞれの言語の特性を踏まえながら

強い説得力をもって歌うことのできる

トリリンガルシンガー。

日本的な魅力とインターナショナルな魅力を兼ね備えていると評価されている

さらに、

パワーのある高音域と

コクのある低~中音域を併せ持つ歌手として評価が高く

オーセンティックなソウル/R&Bから

コンテンポラリーなポップスまで、

ダンスナンバーからバラードまで、

多様な音楽をハイブリッドに表現できるシンガーとして、

今後を期待されている

遥海はフィリピンで3人姉妹の末子として生まれた。

日本人の父と、フィリピン人の母を持つハーフ。

幼少期より日曜日には教会に礼拝に通い3歳の時ゴスペルチームに入る。

13歳の時に日本で生活を始めた。

しかし日本語を話せないため、

何も伝えることができなかった。

そのため、

この頃から彼女がシンガーとして最も大切にしている思い

「日本語ができなかったから、

日本語がわからない人にも伝わるような歌を歌いたい」を持つ。

高校入学後には徐々に日本語を覚え、

様々なオーディションにエントリーする。

2013年4月オーディション番組『X FACTOR OKINAWA JAPAN』に応募。

オーディションでは「スーパー高校生」として注目され、

途中からはHey Worldのメンバーとして出場。

その後、

テレビ朝日系列の歌番組に出演し日本での活動を広めるきっかけとなった                                                                出典:Wikipedia

遥海は日本人の父と、フィリピン人の母を持つハーフ。

13歳で来日したんですね。

13歳と言えば日本だと中学1年生ですがフィリピンではどうでしょうか。。

私はフィリピンについては詳しくないので調べてみました。

フィリピンの学校の学年制度

フィリピンでは小学校が6歳~11歳。
中学校は12歳~15歳。
となるので13歳で来日したということは
中学2年生でフィリピンの学校から転校したんですね。
それも感覚的には一つ学年が下になる中学1年生クラスに。。
私でも、それはちょっと嫌。と思うでしょう。。
日本人が英語を勉強するのとフィリピン人が
日本語を勉強するのとはケタ違いの難しさがあったんだと想像しますね。
来日したのはいいけれど周りの日本人と
何も話せなかったらストレス爆発!しますよね。
でも3歳頃から教会学校でゴスペルと出会い歌が上手だったんですね。
小さい頃から人前で歌うことに慣れてたんですかね。
14歳でデビュー!
TVアニメ『波よ聞いてくれ』のエンディング曲や
「科捜研の女ー劇場版」主題歌「声」に抜擢!
2020年ミュージカル「RENT」のミミ役として出演し、
2023年の再演でも出演!
2023年には、ミュージカル「ラグタイム」にもサラ役で出演してるんですね。
なるほど。。ですね。
ちょっと歌、歌えますの程度ではない!まさに歌姫と言われるほどの歌唱力!
さて、70代の味のある歌声の中村耕一と
ハリ艶のある歌姫・遥海がガチンコする
映画『はじまりの日』を撮った監督とは。。。



日比遊一(ひび ゆういち)監督とは。。

『はじまりの日』の監督は誰だろう。。

と思い調べてみたら日比遊一監督でした。

私は日比監督のことは少しだけ知っていただけだったので調べてみました。

日比 遊一(ひび ゆういち、1964年 – )は、日本の写真家、映画監督。

1964年生まれ愛知県名古屋市出身

高校卒業後に俳優になることを目指して名古屋から東京都へ上京。

日活芸術学院で学ぶ。

20代の頃、ニューヨークへ渡る。

アクターズ・スタジオの共同設立者のロバート・ルイスに師事し、

7年間、演技を学んだ。

その後、写真家に転身。ニューヨークを拠点に活動している。

映画監督としては、

写真家で映像作家でもあるロバート・フランクの

ドキュメンタリー『A Weekend with Mr. Frank』を製作。

2013年、長編プロジェクト『ROAD KILL』が

カンヌ映画祭<アトリエ部門>にアメリカ代表として招待された。

2014年、長編映画『An Ornament of Faith』が完成。

IFPは本作を、2014年デビュー作の中のベスト25に選んだ。

2016年、ドキュメンタリー映画『健さん』を監督する。

高倉健を題材にした同作は、

マイケル・ダグラス、ポール・シュレイダー、マーティン・スコセッシ、ジョン・ウーらの証言で構成されている。

第40回モントリオール世界映画祭にて、

ワールド・ドキュメンタリー部門の最優秀作品賞を受賞した。

映画 

・健さん(2016年) – 監督

・エリカ38(2019年) – 監督・脚本

・はじまりの日(2024年春公開予定) – 監督・企画・脚本    出典:Wikipedia

日比監督は1964年生まれなのでシニア世代の監督になるんですね。

20歳で俳優をめざし渡米!

渡米に至った経緯には日活撮影場所に

撮影のために訪れていた松田優作さんから

「お前ぐらいの年齢だったら、俺はニューヨークに行って頑張る」と

言われた言葉が後押しになったとか。。

人生に出会いがあったんですね。

18、19歳で松田優作と出会って会話する。

というのもやはり住んでいる世界がちがうんですね。

とはいえ、

若干20歳で実際に渡米する勇気があるというか

チャレンジ精神が旺盛な若者だったんですよね。

若かりし頃は俳優めざして、

ゆくゆくは、

ハリウッド俳優に!をめざしていたのでしょうか。。?

20歳というとそれほどというか普通は全く財も無く。だと思うのですが。。。

まずは役者の現場から踏んで

7年間はスタジオで演技を学ばれたんですね。

渡米後の1992年にはこんどはNYで写真家に転身!

変わり目、早っつ(笑)

監督の前職がカメラマン。というのはよくあるのでしょうか。。。?

ただのお遊び程度のカメラマンではなく

米国を拠点とする写真集の名門出版社

ナツラエリ・プレスから出版した3冊の写真集など

作品は現在アメリカ・カリフォルニア州のJ

.ポール・ゲティ美術館など世界各国の重要なコレクターに収集されている

そうなのでなかなかの腕前だったみたいですね。

1992年頃と言えば今から約30年程前。

日本では宮澤喜一が総理大臣。

第一次平成不況でバブル崩壊し始め、

景気は後退への坂道。

一方、アメリカではジョージ・H・Wブッシュ大統領。

アメリカ経済の長期拡大時期で安定していた時代だったと言われています。

いい時代のアメリカに住んでたんですね。

映画業界も賑わってたんでしょうか。。

日本の映画界ではミンボーの女やエルム街の悪夢がヒットしてました。

2016年にはドキュメンタリー映画『健さん』を監督。

この作品は第40回モントリオール世界映画祭で

ワールド・ドキュメンタリー部門の最優秀作品賞を

受賞されているのでこれは凄腕ですね。

そして2019年樹木希林が自ら企画を立てた映画『エリカ38』を監督。

2018年9月15日に75歳でお亡くなりになった

名優・樹木希林の最初で最後の企画作

主演浅田美代子。

樹木希林から頼まれて作ったといわれる『エリカ38』

エリカ38モデルモチーフ事件は実話?キャスト浅田美代子日比監督
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北京国政映画祭でワールドプレミアが行われ、

その後、サンパウロ国際映画祭、

プチョン・ファンタスティック国際映画祭などの

世界各国の映画祭に招待され日本でも公開と同時に連日満員御礼となった作品。

主演の浅田美代子も

ロンドン・イーストアジア映画祭で「審査員特別賞」を受賞!

このように過去の作品を見て行くと日比監督という方は

人との出会いに運があるというか。。

松田優作との出会いで渡米のきっかけをもらい、

樹木希林との出会いで世界各国の映画祭に招待されるような作品の監督となり

これまた日本を代表する俳優、

『健さん』を手掛け。。

そして今作もいいキャストたちの出会いがあったのでは。。とワクワクしますね!

人との出会いも実力派が持っている力なんですね。


『はじまりの日』あらすじざっくりと。。

舞台は名古屋。名古屋は日比監督の故郷でもあり

中村耕一が住んでいる町でもある。とのこと。

年老いてもなお歌い続けるロックシンガー「男」と

いつか歌手になる夢を持っている清掃員「女」が

掛け合うミュージカル映画。

中村耕一は日本レコード大賞、日本有線大賞受賞者!

かたや遥海も抜群の歌唱力を持った実力派!

この2人が織りなす『はじまりの日』

なかでもクライマックスシーンとされる

名古屋栄にあるテレビ塔前で

ヒロイン役の遥海と中京大学、岡崎女子大学、

岡崎女子短期大学、愛知教育大学の

ダンス部総勢30名を率いて

ミュージカルナンバーを繰り広げたダンスは

パワフルで見ごたえがありそうですね。

【作品概要】

作  品 劇場用長編映画「はじまりの日」
企画・プロデューサー・脚本・監督 日比遊一
製作・制作プロダクション ジジックス・スタジオ
公  開 2024年春予定

公式サイト https://hajimarinohi.jp

Facebook@hajimarinohi
Twitter@hajimarinohi_jp
Instagram@hajimarinohi_jp

2024年春・公開予定。

70代になって過去の栄光をひっさげてリトライした中村耕一と伸びしろマックスの歌姫・遥海。人との出会いの強運の持ち主、日比監督が作ったミュージカル映画『はじまりの日』。なにがはじまるんだろ。。楽しみですね!


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